東京電力女性社員殺害事件再審請求事件
第一 新証拠の内容
最高裁で上告が棄却され有罪判決が確定した後も、被告人は、再審請求を行い、その手続の中で、進歩したDNA鑑定を駆使した複数の鑑定書が新たに証拠として提出されました。その内容は、次のようなものです。
一 鑑定書1
遺留された血液型O型の陰毛2本のうち、被害者のものでもなく、被告人のものでもない1本があるが、これを「陰毛X」と呼び、この陰毛の持ち主を「第三者X」と呼ぶ。この陰毛は、常連客BのDNA型とも異なっている。
被害者の膣には、被害者のDNAのほかに、ID及びPPの21ローカスのSTR型とYのハプロタイプとで、陰毛Xから抽出されたのと同じ型、同じハプロタイプを持つ第三者Xに由来するDNAが混在している。
さらに、遺留された陰毛のうちの1本(陰毛Y)からは、2人分のDNA型が検出され(陰毛そのものから検出されたのか、陰毛の付着物から検出されたかは不明)、このDNA型は、第三者Xと被害者のものをあわせた2人分のDNA型として矛盾はなかった。
二 鑑定書2
被害者の口唇周囲、左乳房周囲、右乳房周囲、外陰部周囲、肛門周囲のそれぞれからガーゼ片により採取した付着物について試験を行ったところ、口唇周囲、左乳房周囲、右乳房周囲に唾液様のものの付着があった。その血液型は、いずれもO型であった。
三 鑑定書3
鑑定書2の付着物についてDNA型試験を行ったところ、いずれにも男性DNAが混在しており、その由来となっているのは1人である。
陰毛Xには、同時期にサンプルを提供した7人の男性個人と被害者のいずれにもない、アリールがID4ローカス、Yで4ローカスある。上記付着物のそれぞれに被害者以外でDNAを首尾一貫して供給しているのは、第三者Xとして矛盾はなく、特に外陰部周囲と肛門周囲の付着物はほとんどがこの男性由来である。
四 鑑定書4
(筆者注:鑑定書4では鑑定書2の付着物、ブラスリップ及びコートの付着物に関するDNA型鑑定を行っていますが、鑑定書2の付着物に関しては、鑑定書3の鑑定結果と同様であるので、ここではブラスリップとコートの付着物に関する結果を見ておきます。)
1 ブラスリップ
全面胸部正中付近の右斜め下とさらに右斜め下の二箇所に男性DNAの付着があり、これは第三者Xに由来していると推定される。
2 コート
コートの左肩背面に血痕があり、この血痕部は、被害者のDNAが主要構成成分で、さらに第三者XのDNAも含まれている。
第二 裁判所による本件新証拠(鑑定書1ないし4)の内容についての検討
1 被害者の遺体及びブラスリップから検出されたDNAについて
被害者の膣内、外陰部周囲、肛門周囲から検出されたDNA型については、控訴審で提出されていた鑑定書によれば、被害者の膣口部、膣内部、子宮頚部から精液陽性反応があったのであるから、第三者Xの精液に由来するものと考えられる。また、ブラスリップの前面胸部正中付近の右斜め下等にあった付着物も第三者Xの精液に由来すると考えても矛盾はない。さらに、被害者の右乳房周囲から第三者Xに由来するDNAが検出されているが、これは同人の唾液に由来するとみて矛盾はない。
そうすると、第三者Xは、被害者の右乳房を舐めるなどの前戯をし、コンドームを装着しないで被害者と性交したものと合理的に推認できる。
2 遺留された陰毛について
101号室に第三者Xに由来する陰毛Xが遺留されており、これは、第三者Xが本件犯人である可能性を示すものといえる。
3 被害者のコートの左肩血痕部について
被害者のコートの血痕部は、被害者のDNA含有物が主要構成成分で、さらに第三者XのDNAも含まれているというのであるから、この血液自体は被害者に由来すると見るのが合理的である。また、この血痕部は、コート左肩背面部にあり、その形状からして、飛沫痕とかたれ落ちた痕というより血液が付着した何かがコートに触れたことにより付いたものと思われる。そして、被害者は、殴打されているところ、顔面等に出血があるから、被害者が本件犯人から殴打されるなどした際に付着したものと合理的に推認される。そして、血痕の部位は、左肩背面部にあり、被害者の出血部位が直接触れることは考えにくいから、殴打した際に被害者の血液が犯人の手に付着し、その手が、背面部に触れて血液を付着させた可能性が十分に考えられる。このことは、第三者Xが本件犯人である可能性を示すものである。
第三 解説
これで決まりです(理論上は、再審をこれからはじめるという決定がなされただけですが、事実上は、無罪決定といってもよい鑑定結果があるということができます。)。
すなわち、これまで被害者の膣内のO型の精液は常連客Bのものであり、犯人は本件コンドームを使用して性交したとされていましたが、進歩したDNA型鑑定の結果として判明したことは、上記精液は、常連客Bのものではなく、さらに被告人のものでもない、第三者Xのものであったということです。
従前行ったDNA鑑定は、本件コンドーム内の精液と被告人の血液を対象とするDNA型の判断(一致するという結論であるが、上記精液が被告人のものであることに争いはなかった)と遺留された陰毛と被告人のDNA型の判断(1本が一致するという結論であるが、被告人が被害者と性交した事実についても争いはなかった)だけであり、これは争いのない事実に関するものであって、被告人の有罪認定の根拠となるものではありませんでした。
これに対して、今回のDNA鑑定によれば、被害者の口唇周囲、左乳房周囲、右乳房周囲、外陰部周囲、肛門周囲のそれぞれからガーゼ片により採取した付着物について試験を行ったところ、いずれにも男性DNAが混在しており、その由来となっているのは1人であり、従前の鑑定結果とあわせてみると、それは精液由来であることが明らかになったのです(試験の対象となった付着物は、司法解剖時に採取したものですが、当時は、微量であったためか、もしくは鑑定方法が今日ほど進歩していなかったために今回の鑑定結果に示されたような内容の分析ができなかったためか、その理由については判決書からは明らかではありませんが、いずれにしてもその手法の進歩により、今回のような鑑定結果が得られたということです。)。そして、そのDNA型は、遺留された陰毛のうち、被害者の者でも、被告人のものでもない陰毛Xと同型であり、結局、上記精液は、この陰毛Xの持ち主である第三者Xのものいうことになるのです。さらに、このDNA型が、被害者の下着や、コートからも検出されたのです。
そうすると、この第三者Xが犯人であると判断するしかないと思われますが、あえてそれでも被告人が犯人である可能性を残すとすれば、被害者が被告人と本件コンドームをつけて性交する前に、この第三者Xとコンドームをつけないで性交した場合ということになります。検察官としては、こうした事実を立証することができなければ、被告人有罪の証明をすることができなくなったわけですが、こうなってしまっては、そもそも検察官の主張自体が滑稽なものになってしまいます(もちろん、高裁判決の事実認定も同様)。 しかしながら、検察官としては、その職務上、被告人の前に第三者Xが性交したという可能性を追求せざるをえません。この可能性を追求した検察官の主張に対し、裁判官がどのような判断をしたのかを以下に見ます。
第四 検察官の主張と裁判所の判断
一 被害者の遺体等に残された第三者Xの精液等について
検察官は、被害者の身体や下着に残された第三者Xの精液や唾液は、101号室に入る前の被害者の売春行為に由来する可能性があること、また、陰毛Xは、売春行為の際に第三者Xの陰毛が被害者の身体、着衣に付着し、被害者の移動とともに、101号室に運ばれてきた可能性があることを指摘するので、検討する。
1 常連客Bと会う前に性交した可能性について
被害者は、常連客Bと性交後、シャワーを浴び、湯船にもつかっている。そうであれば、被害者の身体から検出された第三者XのDNAが常連客Bよりも前に被害者の売春行為の相手となった男性の精液や唾液に由来していることはほとんど考えがたい。実際、被害者の膣内からは、常連客BのDNA型は検出されていない。
2 常連客Bと別れた後で101号室に入る前に性交した可能性について
そこで、被害者が、常連客Bと別れた後、101号室に入る前の1時間の間に、第三者Xと性交した可能性について検討する。
被害者は、所持金の少ない売春客の場合、ホテル代を節約するために、駐車場などに売春客を誘うと、客の性器を舐めるなどした後、自ら下着を膝まで下ろして下半身を露出し、いわゆる立後背位の姿勢で売春客に陰茎を挿入させて射精に導くという態様の性交に及ぶということがあった。こうした場合、被害者が着衣を戻せば、陰部付近やパンティ内その他の着衣に売春客の陰毛が付着することが考えられないではない。
しかしながら、被害者と立後背位で屋外性交を行っている売春客で被害者の乳房を舐める前戯をしたと述べるものはいないし、ブラスリップの前面胸部正中付近に精液が付着することも考えにくい。やはり、第三者Xは、屋外で性交したというよりも、屋内で性交したと見る方が自然といえる。
3 ホテル等屋内で性交した可能性について
屋内での性交であれば、通常着衣は脱ぐであろうから、客が被害者の胸を舐めるということは十分考えられるし、被害者の胸付近に精液が付着し、身繕いをした被害者のブラスリップ前胸部に付着することも考えられる。そうすると、被害者が、第三者Xと前戯を含めた性交の痕跡を身体や着衣に残しつつ、かつ、陰毛を身体に付着させて101号室に赴いた可能性は、ないとまではいえない。
4 101号室で第三者Xと性交した可能性について
以上見たように、被害者が、第三者Xと101号室以外の場所で性交した可能性がないともいえないが、だからといって、101号室で性交した可能性を否定することにもならないし、むしろそう考える方が自然である。
5 被害者のコート左肩血痕部から検出された第三者XのDNAについて
検察官は、血痕付着と第三者Xの何らかの細胞成分付着が場所的に重なっていることについて、第三者Xが被害者と連れだって歩いたり、性交する過程でそのDNAがコートに付着しても何ら不思議はないという。
しかしながら、第三者Xが被害者と連れだって歩いたり、性交する過程でそのDNAがコートに付着したその場所に、偶然に血液が付着したということになるが、偶然の一致という度合いがすぎるのではないかと思われる。
6 まとめ
以上の検察官の主張を検討しても、第三者Xが101号室で被害者と性交し、その後被害者を殴打して出血させ、その血液をコート背面部に付着させた可能性を否定できない。
二 被告人が被害者と性交ないし接触したことを裏付ける痕跡の有無について
ところで、上記6で述べた可能性に関する判断を阻害するような、被告人が被害者と性交ないし接触したことを裏付ける痕跡があるかどうかも検討する。
1 ブラスリップ前面左裾付近の付着物について
検察官は、新たに提出した鑑定書において、ブラスリップ前面左裾付近の付着物のDNAについて、これが被告人のDNAである可能性の指摘がある点をとらえ、被告人が本件犯人であることの根拠とする。
しかしながら、このブラスリップには、第三者XのDNAのほかにも、被告人でも第三者Xのものでもない男性のDNAも混在しており、そうしたDNAが、果たして犯行当日に付着したものとは確定できない。
また、上記鑑定書においては、混在しているDNAが被告人のものであるかは判断が困難であるといっているし、仮にこれが被告人のものであるとしても、本件犯行当日にこれが付着したものとは確定できない。
2 被害者の手などから検出されたDNAについて
検察官は、新たに提出した鑑定書において、被害者の手などの付着物から検出されたDNAについて、被告人のDNA型と同じアリールが相当数検出されていることをとらえ、被告人が本件犯人であることの根拠とする。
すなわち、本件犯人の暴行に対し、これを防ぎ抵抗しようとして、その殴打を自己の手で受けとめたり、ふりほどこうとするなどしたはずであるから、犯人に由来する細胞物資が手などに残ったのであり、また、本件当夜、被害者が入浴していることを考慮すると、被害者の手などにある付着物が付着したのは、本件犯行に接着した時間帯といえるし、さらには手などの付着物からは第三者XのDNA型はほとんど検出されていないと主張する。 しかしながら、鑑定書の鑑定内容によると、被告人のDNA型と同じアリールが複数検出されたというものの、右手掌と右手背については、そもそも判断するだけのデータが揃っていないということであるし、右小指と右拇指などについては、結局は、型の判定や個人の特定は困難であるというものである。したがって、これをもって、本件犯行当日、被告人と被害者の接触があったということはできない。
また、本件犯人が、被害者に抵抗するいとまを与えず一方的に暴行を加えたことも考えられ、このような場合に、本件犯人の細胞物質が手などに残される契機は乏しいといえる。
三 本件新証拠と旧証拠とをあわせての検討
1 高裁判決の有罪認定の証拠構造
高裁判決では、被害者の膣内の残留精子について、常連客Bが被害者とコンドームを使用せずに性交していることや、常連客Bの血液型がO型であることから常連客Bに由来するものであることを前提に、本件コンドームは本件犯人が残した蓋然性が極めて高いという判断を行い、これが有罪認定の前提であり、その骨格をなすものである。
ところが、本件新証拠は、第三者Xが101号室で被害者と前戯をして性交したと考えるのが自然な状況を示している。他方で、本件コンドームと被告人の陰毛が101号室に落ちていたということは、被告人が同所で誰かと性交をしたという蓋然性が高いというにとどまる。しかも、本件コンドーム内の精液は、本件犯行時に投棄されたものとしても矛盾はしないとされているにとどまり、投棄日が本件犯行日と確定されているわけでもない(本件犯行日よりも遡る可能性が否定されていない。)。そうすると、本件コンドームは本件犯人が残した蓋然性が極めて高いという前提は、そのようにはいえないことになる。
2 本件犯行日よりも前に本件コンドームを投棄したという被告人の弁明について
高裁判決は、この弁明は信用できないという。
しかし、第三者Xが101号室で性交したとみるのが自然といえるような状況と対比するとき、被告人は犯行日以前に、101号室で性交したのではないかとの疑問が生じる。精液の経時変化の鑑定結果に照らしても、ありえないことではない。
3 本件手帳の記載内容との照応について
高裁判決は、2月28日欄の「?外国人0・2万円」の記載に関し、初回の売春から2ヶ月半余りしか経過していない2月28日に被告人が被害者の売春相手をしたのであれば、被告人を近隣の401号室で売春の相手にした外人としてすぐ認識できたはずであり、その日の欄に、「?外人」と記載するのは考えがたいとする。
しかし、被告人は、外国人であるから、被害者にとって個人識別は必ずしも容易でなかったはずであるし、言語の関係でも会話は多くなかったであろうから、個人としての特徴はつかみにくかった可能性は否定できない。そして、本件手帳には、被告人の氏名、連絡先などに関する記載はないから、被害者が、被告人を、予約して売春するような遊客としてではなく、場当たり的な遊客と見ていた可能性も否定できない。
また、高裁判決は、当初、被告人は、売春代金として支払った金額を4,500円としていたが、この金額も上記記載と齟齬しているという。そして、その後、被告人は、その金額を少額に修正するなどしているが、こうした弁明も信用できないという。
しかしながら、売春代金に関する記述は、事柄の性質上、もともとそれほど正確には残っていなかった可能性もある。
そして、翻ってみると、2月25日から3月2日頃までの間に、101号室で被害者と性交し、本件コンドームを捨てたという被告人の弁解は、検察官から本件手帳の開示がなされる前にされたもので、被告人は本件手帳の記載内容を知ることなく上記の弁解をしたものである。本件手帳の2月28日欄に「?外人0・2万円」の記載があったのを偶然の一致にすぎないとは断定できないと思われる。
4 101号室へ被害者が自ら又は被告人以外の男性と立ち入る可能性について
高裁判決は、同アパートに係わりのない被害者が、同室が空室であり、施錠されていないことを知っていたとしても、売春客を連れ込み、あるいは、被告人以外の男性が被害者を同室に連れ込むことはおよそ考えがたいことであるとしている。
しかしながら、被害者は、円山町界隈を毎晩のように売春客を求めて徘徊し、かつ平気で他人の住居の敷地に立ち入り、駐車場や駐輪場の奥の建物と壁の間などで屋外性交に及んでいたのだから、101号室が空室で、無施錠であることを知っていた被害者が、これ幸いと抵抗感なく第三者Xを誘って同室で売春した可能性も否定できない。これは、被害者が先に、男が後になって、101号室方向へ向かっていったという目撃証言とも整合的である。
また、高裁判決は、被告人の仲間が、101号室が空室で、無施錠であることを聞知して、被害者を同室に連れ込んだ可能性も全く想定できないわけではないとした上で、同居人らのアリバイ等を検討し、そのような形跡はないとしているが、アリバイ等を検討した対象者は、高裁判決が検討した対象者の範囲の者でしかない。
5 本件ショルダーバックの取ってからB型陽性反応が認められたこと
検察官は、鑑定の結果、本件ショルダーバックの取ってからB型陽性反応が認められたことは、本件犯人が取っ手がちぎれるまで強く引っ張ったことにより付着したものであると主張する。
確かに、取っ手がちぎれるまで強く引っ張った以上、その者の血液型物質が付着することは十分にありうるが、同鑑定書は、持ち主がO型であるため、O型の分析は省略し、A型物質とB型物質の付着の有無について分析を行っている。そうすると、O型である第三者Xが取っ手を引っ張ったとしても、矛盾は生じないことになる。
第六 結論
控訴審の審理の中で本件新証拠が提出されていたならば、第三者Xが101号室で被害者と性交し、その後4万円を強取したのではないかとの疑いが否定できず、被告人が本件犯行を行ったとの有罪認定には到達しなかったと思われる。
第七 判決
再審を開始する。
第八 筆者の感想
DNA鑑定の結果、本件犯行当日被害者と性交した第三者Xの存在が明らかになった今、被告人を犯人であるとした高裁判決の事実認定がいかに誤りであったかを見ておくことにします。再審を決めた裁判所は、同じ同僚である裁判官の行った高裁判決を遠慮気味に批判していますが、いずれにしてもその認定はことごとく誤っています。
一 高裁判決の評価
1 「?外国人0.2万円」の記載は、被告人との売春を記載したものではないという認定について
本件コンドームが遺留された時期が本件犯行日以前ということになると、この記載は、被告人との売春を記載したものというほかないということになりますが、高裁判決は、被告人とは面識があったのであるから「?」の符丁をつけるはずがないといい、0.2万円の記載についても、被害者の手帳の記載内容は極めて正確であるから、被告人は嘘をいっていると認定しています。この認定は、まるっきり誤っていたことになります。
この誤った認定を前提に、被告人が被害者と性交したのは、本件犯行当日であるという決定的な誤りを犯してしまっている。
2 強取した金で家賃を払ったという認定について
被告人が犯人ではなく、金を奪っていないということになるのですから、強取した金がなければ家賃の支払いができなかったという高裁の認定も誤っていたことになります。
3 被害者が第三者と101号室に入り込むことはないという判断について
高裁判決は、通常のアパートであり、隣に居住者がいたのであるから、101号室に全く関係ない被害者が遊客を連れて勝手に入り込む事態が、現実に起こるとは想定できないといっていましたが、まさに現実に起きているわけです。
4 本件鍵を家賃とともに返還したのは、6日ではなく、10日ないし11日であり、犯行日である8日には、本件鍵は被告人が所持していたという認定について
この点は、第三者Xの存在が明らかになったことにより、この認定が間違っていたということにはなりません。なぜなら、被告人が本件犯行日以前に被害者と買春し、101号室を無施錠のままにしたとしても、本件鍵をそのまま保持し、8日以降に返還したということもありうるからです。 ただ、家賃の返還日とあわせて高裁判決の行っている、店長A、会計担当者D及び同居人らの供述及び証言の評価については、すでに指摘した通り、その説示内容は我田引水であって説得力に欠けるものであるという印象がさらに強まったということができるでしょう。
5 本件コンドームの遺留状況について
第1審判決などの「本件コンドームが犯行当夜使用されたものであるならば、犯人が現場に遺留したのは不可解である。」という指摘について、「その重要性に思いが及ばなかっただけ」という説示内容も誤っていたことになります。犯人が現場に遺留したものではなかったのです。
また、「本件コンドームを遺留して包装パッケージを持ち出した不自然さについても疑問は生じない」などという説示内容も、やはり不自然だったということになります。
6 第三者の陰毛の存在
これについても、「平成8年10月頃まで別なネパール人が居住していて、退去時の清掃が不十分だったのだから、第三者が入り込んで犯行に及んだ可能性があることにはならない」という説示内容も誤っていました。
7 被害者の定期券入れの発見
これが被告人の土地勘がないところで発見されたことについても、「これが未解明だからといって被告人と本件犯行の結びつきが疑わしいことにならないことは、見やすい道理である」などといっていましたが、やはり疑わしいことでありました。
8 結論
高裁判決の事実認定の枢要部分は、まるっきり間違っていたことになります。
二 最高裁に対して
最高裁が、この高裁判決の内容を是認し、上告を棄却したことにより、被告人を無期懲役とした高裁判決が確定しました。
「疑わしきは被告人の利益に」という刑事訴訟の大原則に反するような高裁判決をそのまま是認した最高裁の責任もまた重いというべきでしょう。
第一 新証拠の内容
最高裁で上告が棄却され有罪判決が確定した後も、被告人は、再審請求を行い、その手続の中で、進歩したDNA鑑定を駆使した複数の鑑定書が新たに証拠として提出されました。その内容は、次のようなものです。
一 鑑定書1
遺留された血液型O型の陰毛2本のうち、被害者のものでもなく、被告人のものでもない1本があるが、これを「陰毛X」と呼び、この陰毛の持ち主を「第三者X」と呼ぶ。この陰毛は、常連客BのDNA型とも異なっている。
被害者の膣には、被害者のDNAのほかに、ID及びPPの21ローカスのSTR型とYのハプロタイプとで、陰毛Xから抽出されたのと同じ型、同じハプロタイプを持つ第三者Xに由来するDNAが混在している。
さらに、遺留された陰毛のうちの1本(陰毛Y)からは、2人分のDNA型が検出され(陰毛そのものから検出されたのか、陰毛の付着物から検出されたかは不明)、このDNA型は、第三者Xと被害者のものをあわせた2人分のDNA型として矛盾はなかった。
二 鑑定書2
被害者の口唇周囲、左乳房周囲、右乳房周囲、外陰部周囲、肛門周囲のそれぞれからガーゼ片により採取した付着物について試験を行ったところ、口唇周囲、左乳房周囲、右乳房周囲に唾液様のものの付着があった。その血液型は、いずれもO型であった。
三 鑑定書3
鑑定書2の付着物についてDNA型試験を行ったところ、いずれにも男性DNAが混在しており、その由来となっているのは1人である。
陰毛Xには、同時期にサンプルを提供した7人の男性個人と被害者のいずれにもない、アリールがID4ローカス、Yで4ローカスある。上記付着物のそれぞれに被害者以外でDNAを首尾一貫して供給しているのは、第三者Xとして矛盾はなく、特に外陰部周囲と肛門周囲の付着物はほとんどがこの男性由来である。
四 鑑定書4
(筆者注:鑑定書4では鑑定書2の付着物、ブラスリップ及びコートの付着物に関するDNA型鑑定を行っていますが、鑑定書2の付着物に関しては、鑑定書3の鑑定結果と同様であるので、ここではブラスリップとコートの付着物に関する結果を見ておきます。)
1 ブラスリップ
全面胸部正中付近の右斜め下とさらに右斜め下の二箇所に男性DNAの付着があり、これは第三者Xに由来していると推定される。
2 コート
コートの左肩背面に血痕があり、この血痕部は、被害者のDNAが主要構成成分で、さらに第三者XのDNAも含まれている。
第二 裁判所による本件新証拠(鑑定書1ないし4)の内容についての検討
1 被害者の遺体及びブラスリップから検出されたDNAについて
被害者の膣内、外陰部周囲、肛門周囲から検出されたDNA型については、控訴審で提出されていた鑑定書によれば、被害者の膣口部、膣内部、子宮頚部から精液陽性反応があったのであるから、第三者Xの精液に由来するものと考えられる。また、ブラスリップの前面胸部正中付近の右斜め下等にあった付着物も第三者Xの精液に由来すると考えても矛盾はない。さらに、被害者の右乳房周囲から第三者Xに由来するDNAが検出されているが、これは同人の唾液に由来するとみて矛盾はない。
そうすると、第三者Xは、被害者の右乳房を舐めるなどの前戯をし、コンドームを装着しないで被害者と性交したものと合理的に推認できる。
2 遺留された陰毛について
101号室に第三者Xに由来する陰毛Xが遺留されており、これは、第三者Xが本件犯人である可能性を示すものといえる。
3 被害者のコートの左肩血痕部について
被害者のコートの血痕部は、被害者のDNA含有物が主要構成成分で、さらに第三者XのDNAも含まれているというのであるから、この血液自体は被害者に由来すると見るのが合理的である。また、この血痕部は、コート左肩背面部にあり、その形状からして、飛沫痕とかたれ落ちた痕というより血液が付着した何かがコートに触れたことにより付いたものと思われる。そして、被害者は、殴打されているところ、顔面等に出血があるから、被害者が本件犯人から殴打されるなどした際に付着したものと合理的に推認される。そして、血痕の部位は、左肩背面部にあり、被害者の出血部位が直接触れることは考えにくいから、殴打した際に被害者の血液が犯人の手に付着し、その手が、背面部に触れて血液を付着させた可能性が十分に考えられる。このことは、第三者Xが本件犯人である可能性を示すものである。
第三 解説
これで決まりです(理論上は、再審をこれからはじめるという決定がなされただけですが、事実上は、無罪決定といってもよい鑑定結果があるということができます。)。
すなわち、これまで被害者の膣内のO型の精液は常連客Bのものであり、犯人は本件コンドームを使用して性交したとされていましたが、進歩したDNA型鑑定の結果として判明したことは、上記精液は、常連客Bのものではなく、さらに被告人のものでもない、第三者Xのものであったということです。
従前行ったDNA鑑定は、本件コンドーム内の精液と被告人の血液を対象とするDNA型の判断(一致するという結論であるが、上記精液が被告人のものであることに争いはなかった)と遺留された陰毛と被告人のDNA型の判断(1本が一致するという結論であるが、被告人が被害者と性交した事実についても争いはなかった)だけであり、これは争いのない事実に関するものであって、被告人の有罪認定の根拠となるものではありませんでした。
これに対して、今回のDNA鑑定によれば、被害者の口唇周囲、左乳房周囲、右乳房周囲、外陰部周囲、肛門周囲のそれぞれからガーゼ片により採取した付着物について試験を行ったところ、いずれにも男性DNAが混在しており、その由来となっているのは1人であり、従前の鑑定結果とあわせてみると、それは精液由来であることが明らかになったのです(試験の対象となった付着物は、司法解剖時に採取したものですが、当時は、微量であったためか、もしくは鑑定方法が今日ほど進歩していなかったために今回の鑑定結果に示されたような内容の分析ができなかったためか、その理由については判決書からは明らかではありませんが、いずれにしてもその手法の進歩により、今回のような鑑定結果が得られたということです。)。そして、そのDNA型は、遺留された陰毛のうち、被害者の者でも、被告人のものでもない陰毛Xと同型であり、結局、上記精液は、この陰毛Xの持ち主である第三者Xのものいうことになるのです。さらに、このDNA型が、被害者の下着や、コートからも検出されたのです。
そうすると、この第三者Xが犯人であると判断するしかないと思われますが、あえてそれでも被告人が犯人である可能性を残すとすれば、被害者が被告人と本件コンドームをつけて性交する前に、この第三者Xとコンドームをつけないで性交した場合ということになります。検察官としては、こうした事実を立証することができなければ、被告人有罪の証明をすることができなくなったわけですが、こうなってしまっては、そもそも検察官の主張自体が滑稽なものになってしまいます(もちろん、高裁判決の事実認定も同様)。 しかしながら、検察官としては、その職務上、被告人の前に第三者Xが性交したという可能性を追求せざるをえません。この可能性を追求した検察官の主張に対し、裁判官がどのような判断をしたのかを以下に見ます。
第四 検察官の主張と裁判所の判断
一 被害者の遺体等に残された第三者Xの精液等について
検察官は、被害者の身体や下着に残された第三者Xの精液や唾液は、101号室に入る前の被害者の売春行為に由来する可能性があること、また、陰毛Xは、売春行為の際に第三者Xの陰毛が被害者の身体、着衣に付着し、被害者の移動とともに、101号室に運ばれてきた可能性があることを指摘するので、検討する。
1 常連客Bと会う前に性交した可能性について
被害者は、常連客Bと性交後、シャワーを浴び、湯船にもつかっている。そうであれば、被害者の身体から検出された第三者XのDNAが常連客Bよりも前に被害者の売春行為の相手となった男性の精液や唾液に由来していることはほとんど考えがたい。実際、被害者の膣内からは、常連客BのDNA型は検出されていない。
2 常連客Bと別れた後で101号室に入る前に性交した可能性について
そこで、被害者が、常連客Bと別れた後、101号室に入る前の1時間の間に、第三者Xと性交した可能性について検討する。
被害者は、所持金の少ない売春客の場合、ホテル代を節約するために、駐車場などに売春客を誘うと、客の性器を舐めるなどした後、自ら下着を膝まで下ろして下半身を露出し、いわゆる立後背位の姿勢で売春客に陰茎を挿入させて射精に導くという態様の性交に及ぶということがあった。こうした場合、被害者が着衣を戻せば、陰部付近やパンティ内その他の着衣に売春客の陰毛が付着することが考えられないではない。
しかしながら、被害者と立後背位で屋外性交を行っている売春客で被害者の乳房を舐める前戯をしたと述べるものはいないし、ブラスリップの前面胸部正中付近に精液が付着することも考えにくい。やはり、第三者Xは、屋外で性交したというよりも、屋内で性交したと見る方が自然といえる。
3 ホテル等屋内で性交した可能性について
屋内での性交であれば、通常着衣は脱ぐであろうから、客が被害者の胸を舐めるということは十分考えられるし、被害者の胸付近に精液が付着し、身繕いをした被害者のブラスリップ前胸部に付着することも考えられる。そうすると、被害者が、第三者Xと前戯を含めた性交の痕跡を身体や着衣に残しつつ、かつ、陰毛を身体に付着させて101号室に赴いた可能性は、ないとまではいえない。
4 101号室で第三者Xと性交した可能性について
以上見たように、被害者が、第三者Xと101号室以外の場所で性交した可能性がないともいえないが、だからといって、101号室で性交した可能性を否定することにもならないし、むしろそう考える方が自然である。
5 被害者のコート左肩血痕部から検出された第三者XのDNAについて
検察官は、血痕付着と第三者Xの何らかの細胞成分付着が場所的に重なっていることについて、第三者Xが被害者と連れだって歩いたり、性交する過程でそのDNAがコートに付着しても何ら不思議はないという。
しかしながら、第三者Xが被害者と連れだって歩いたり、性交する過程でそのDNAがコートに付着したその場所に、偶然に血液が付着したということになるが、偶然の一致という度合いがすぎるのではないかと思われる。
6 まとめ
以上の検察官の主張を検討しても、第三者Xが101号室で被害者と性交し、その後被害者を殴打して出血させ、その血液をコート背面部に付着させた可能性を否定できない。
二 被告人が被害者と性交ないし接触したことを裏付ける痕跡の有無について
ところで、上記6で述べた可能性に関する判断を阻害するような、被告人が被害者と性交ないし接触したことを裏付ける痕跡があるかどうかも検討する。
1 ブラスリップ前面左裾付近の付着物について
検察官は、新たに提出した鑑定書において、ブラスリップ前面左裾付近の付着物のDNAについて、これが被告人のDNAである可能性の指摘がある点をとらえ、被告人が本件犯人であることの根拠とする。
しかしながら、このブラスリップには、第三者XのDNAのほかにも、被告人でも第三者Xのものでもない男性のDNAも混在しており、そうしたDNAが、果たして犯行当日に付着したものとは確定できない。
また、上記鑑定書においては、混在しているDNAが被告人のものであるかは判断が困難であるといっているし、仮にこれが被告人のものであるとしても、本件犯行当日にこれが付着したものとは確定できない。
2 被害者の手などから検出されたDNAについて
検察官は、新たに提出した鑑定書において、被害者の手などの付着物から検出されたDNAについて、被告人のDNA型と同じアリールが相当数検出されていることをとらえ、被告人が本件犯人であることの根拠とする。
すなわち、本件犯人の暴行に対し、これを防ぎ抵抗しようとして、その殴打を自己の手で受けとめたり、ふりほどこうとするなどしたはずであるから、犯人に由来する細胞物資が手などに残ったのであり、また、本件当夜、被害者が入浴していることを考慮すると、被害者の手などにある付着物が付着したのは、本件犯行に接着した時間帯といえるし、さらには手などの付着物からは第三者XのDNA型はほとんど検出されていないと主張する。 しかしながら、鑑定書の鑑定内容によると、被告人のDNA型と同じアリールが複数検出されたというものの、右手掌と右手背については、そもそも判断するだけのデータが揃っていないということであるし、右小指と右拇指などについては、結局は、型の判定や個人の特定は困難であるというものである。したがって、これをもって、本件犯行当日、被告人と被害者の接触があったということはできない。
また、本件犯人が、被害者に抵抗するいとまを与えず一方的に暴行を加えたことも考えられ、このような場合に、本件犯人の細胞物質が手などに残される契機は乏しいといえる。
三 本件新証拠と旧証拠とをあわせての検討
1 高裁判決の有罪認定の証拠構造
高裁判決では、被害者の膣内の残留精子について、常連客Bが被害者とコンドームを使用せずに性交していることや、常連客Bの血液型がO型であることから常連客Bに由来するものであることを前提に、本件コンドームは本件犯人が残した蓋然性が極めて高いという判断を行い、これが有罪認定の前提であり、その骨格をなすものである。
ところが、本件新証拠は、第三者Xが101号室で被害者と前戯をして性交したと考えるのが自然な状況を示している。他方で、本件コンドームと被告人の陰毛が101号室に落ちていたということは、被告人が同所で誰かと性交をしたという蓋然性が高いというにとどまる。しかも、本件コンドーム内の精液は、本件犯行時に投棄されたものとしても矛盾はしないとされているにとどまり、投棄日が本件犯行日と確定されているわけでもない(本件犯行日よりも遡る可能性が否定されていない。)。そうすると、本件コンドームは本件犯人が残した蓋然性が極めて高いという前提は、そのようにはいえないことになる。
2 本件犯行日よりも前に本件コンドームを投棄したという被告人の弁明について
高裁判決は、この弁明は信用できないという。
しかし、第三者Xが101号室で性交したとみるのが自然といえるような状況と対比するとき、被告人は犯行日以前に、101号室で性交したのではないかとの疑問が生じる。精液の経時変化の鑑定結果に照らしても、ありえないことではない。
3 本件手帳の記載内容との照応について
高裁判決は、2月28日欄の「?外国人0・2万円」の記載に関し、初回の売春から2ヶ月半余りしか経過していない2月28日に被告人が被害者の売春相手をしたのであれば、被告人を近隣の401号室で売春の相手にした外人としてすぐ認識できたはずであり、その日の欄に、「?外人」と記載するのは考えがたいとする。
しかし、被告人は、外国人であるから、被害者にとって個人識別は必ずしも容易でなかったはずであるし、言語の関係でも会話は多くなかったであろうから、個人としての特徴はつかみにくかった可能性は否定できない。そして、本件手帳には、被告人の氏名、連絡先などに関する記載はないから、被害者が、被告人を、予約して売春するような遊客としてではなく、場当たり的な遊客と見ていた可能性も否定できない。
また、高裁判決は、当初、被告人は、売春代金として支払った金額を4,500円としていたが、この金額も上記記載と齟齬しているという。そして、その後、被告人は、その金額を少額に修正するなどしているが、こうした弁明も信用できないという。
しかしながら、売春代金に関する記述は、事柄の性質上、もともとそれほど正確には残っていなかった可能性もある。
そして、翻ってみると、2月25日から3月2日頃までの間に、101号室で被害者と性交し、本件コンドームを捨てたという被告人の弁解は、検察官から本件手帳の開示がなされる前にされたもので、被告人は本件手帳の記載内容を知ることなく上記の弁解をしたものである。本件手帳の2月28日欄に「?外人0・2万円」の記載があったのを偶然の一致にすぎないとは断定できないと思われる。
4 101号室へ被害者が自ら又は被告人以外の男性と立ち入る可能性について
高裁判決は、同アパートに係わりのない被害者が、同室が空室であり、施錠されていないことを知っていたとしても、売春客を連れ込み、あるいは、被告人以外の男性が被害者を同室に連れ込むことはおよそ考えがたいことであるとしている。
しかしながら、被害者は、円山町界隈を毎晩のように売春客を求めて徘徊し、かつ平気で他人の住居の敷地に立ち入り、駐車場や駐輪場の奥の建物と壁の間などで屋外性交に及んでいたのだから、101号室が空室で、無施錠であることを知っていた被害者が、これ幸いと抵抗感なく第三者Xを誘って同室で売春した可能性も否定できない。これは、被害者が先に、男が後になって、101号室方向へ向かっていったという目撃証言とも整合的である。
また、高裁判決は、被告人の仲間が、101号室が空室で、無施錠であることを聞知して、被害者を同室に連れ込んだ可能性も全く想定できないわけではないとした上で、同居人らのアリバイ等を検討し、そのような形跡はないとしているが、アリバイ等を検討した対象者は、高裁判決が検討した対象者の範囲の者でしかない。
5 本件ショルダーバックの取ってからB型陽性反応が認められたこと
検察官は、鑑定の結果、本件ショルダーバックの取ってからB型陽性反応が認められたことは、本件犯人が取っ手がちぎれるまで強く引っ張ったことにより付着したものであると主張する。
確かに、取っ手がちぎれるまで強く引っ張った以上、その者の血液型物質が付着することは十分にありうるが、同鑑定書は、持ち主がO型であるため、O型の分析は省略し、A型物質とB型物質の付着の有無について分析を行っている。そうすると、O型である第三者Xが取っ手を引っ張ったとしても、矛盾は生じないことになる。
第六 結論
控訴審の審理の中で本件新証拠が提出されていたならば、第三者Xが101号室で被害者と性交し、その後4万円を強取したのではないかとの疑いが否定できず、被告人が本件犯行を行ったとの有罪認定には到達しなかったと思われる。
第七 判決
再審を開始する。
第八 筆者の感想
DNA鑑定の結果、本件犯行当日被害者と性交した第三者Xの存在が明らかになった今、被告人を犯人であるとした高裁判決の事実認定がいかに誤りであったかを見ておくことにします。再審を決めた裁判所は、同じ同僚である裁判官の行った高裁判決を遠慮気味に批判していますが、いずれにしてもその認定はことごとく誤っています。
一 高裁判決の評価
1 「?外国人0.2万円」の記載は、被告人との売春を記載したものではないという認定について
本件コンドームが遺留された時期が本件犯行日以前ということになると、この記載は、被告人との売春を記載したものというほかないということになりますが、高裁判決は、被告人とは面識があったのであるから「?」の符丁をつけるはずがないといい、0.2万円の記載についても、被害者の手帳の記載内容は極めて正確であるから、被告人は嘘をいっていると認定しています。この認定は、まるっきり誤っていたことになります。
この誤った認定を前提に、被告人が被害者と性交したのは、本件犯行当日であるという決定的な誤りを犯してしまっている。
2 強取した金で家賃を払ったという認定について
被告人が犯人ではなく、金を奪っていないということになるのですから、強取した金がなければ家賃の支払いができなかったという高裁の認定も誤っていたことになります。
3 被害者が第三者と101号室に入り込むことはないという判断について
高裁判決は、通常のアパートであり、隣に居住者がいたのであるから、101号室に全く関係ない被害者が遊客を連れて勝手に入り込む事態が、現実に起こるとは想定できないといっていましたが、まさに現実に起きているわけです。
4 本件鍵を家賃とともに返還したのは、6日ではなく、10日ないし11日であり、犯行日である8日には、本件鍵は被告人が所持していたという認定について
この点は、第三者Xの存在が明らかになったことにより、この認定が間違っていたということにはなりません。なぜなら、被告人が本件犯行日以前に被害者と買春し、101号室を無施錠のままにしたとしても、本件鍵をそのまま保持し、8日以降に返還したということもありうるからです。 ただ、家賃の返還日とあわせて高裁判決の行っている、店長A、会計担当者D及び同居人らの供述及び証言の評価については、すでに指摘した通り、その説示内容は我田引水であって説得力に欠けるものであるという印象がさらに強まったということができるでしょう。
5 本件コンドームの遺留状況について
第1審判決などの「本件コンドームが犯行当夜使用されたものであるならば、犯人が現場に遺留したのは不可解である。」という指摘について、「その重要性に思いが及ばなかっただけ」という説示内容も誤っていたことになります。犯人が現場に遺留したものではなかったのです。
また、「本件コンドームを遺留して包装パッケージを持ち出した不自然さについても疑問は生じない」などという説示内容も、やはり不自然だったということになります。
6 第三者の陰毛の存在
これについても、「平成8年10月頃まで別なネパール人が居住していて、退去時の清掃が不十分だったのだから、第三者が入り込んで犯行に及んだ可能性があることにはならない」という説示内容も誤っていました。
7 被害者の定期券入れの発見
これが被告人の土地勘がないところで発見されたことについても、「これが未解明だからといって被告人と本件犯行の結びつきが疑わしいことにならないことは、見やすい道理である」などといっていましたが、やはり疑わしいことでありました。
8 結論
高裁判決の事実認定の枢要部分は、まるっきり間違っていたことになります。
二 最高裁に対して
最高裁が、この高裁判決の内容を是認し、上告を棄却したことにより、被告人を無期懲役とした高裁判決が確定しました。
「疑わしきは被告人の利益に」という刑事訴訟の大原則に反するような高裁判決をそのまま是認した最高裁の責任もまた重いというべきでしょう。