社会貢献活動

中国残留孤児 国籍取得1000人達成の記録

座談会「国籍取得1000人までの軌跡を振り返る」
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■出席者、司会紹介

河合弘之(かわい ひろゆき) 1944年、新京(現在の長春)に生まれ、46年に家族6人で引き揚げる。しかし、途中で弟を失い、自分も残留孤児になったかもしれないという思いから、徐明事件の報道記事を看過できず、孤児問題の第一歩を踏み出した。「支援する会」では弁護士として主に法律面を担当し、さくら共同法律事務所の他の弁護士にも協力してもらい、国籍取得を推進している。
千野誠治(ちの せいじ) 1924年、東京生まれ。15歳で満蒙開拓青少年義勇軍として旧満州に渡り、義勇隊開拓団で6年間生活。その後、軍隊を経て3年間シベリアに抑留。48年に引き揚げた後、苦労して会社を設立。その持ち前の企画力と実行力を孤児問題に注ぎ、就籍、血液鑑定、帰国支援、会報誌「就友」発行、「中国帰国者之墓」(西多摩霊園)「まんしゅう母子地蔵」(浅草寺)「中国養父母に感謝の碑」建立など次々にボランティアの新しい道を拓いてきた。
山村文子(やまむら ふみこ) 1942年、建築技師の夫と旧満州に渡り、終戦時の逃避行の果てに1歳の息子を失う。46年に引き揚げ。引揚者を中心にした「凍土の会」会長として、70年代からいち早く日中肉親探し運動に取り組む。都の生活指導員、孤児問題懇談会委員などを務め、現在も孤児達の生活の面倒を見るなど精力的にボランティア活動を続けている。
寺川通雄(てらかわ みちお) 1935年、広島市生まれ。小学4年のとき、旧満州で終戦を迎え、家族と離ればなれになり、中国人に育てられる。53年に引き揚げるが、父は現地召集で戦死、姉と弟も現地で死亡、母と妹は88年にようやく帰国。孤児同様の体験から、約20年間、孤児の保証人や身元引受人になるなど積極的に孤児問題に取り組む。個人タクシー業を営むのも、ボランティア活動の時間が取りやすいためだ。
大久保真紀(おおくぼ まき) 朝日新聞社会部記者。1990年の戦後45年の機会に中国に暮らす孤児達を訪ねたのをきっかけとして、初めて孤児問題に正面から取り組み、以来、孤児問題を担当。その鋭い視点と洞察、綿密な取材で健筆をふるい、記事の行間にはいつも孤児への暖かい思いやりが溢れている。
池田澄江(いけだ すみえ) 「支援する会」の前身ともいえる「徐明さんを支援する会」で国籍取得。中国名は「徐明」。帰国後に届け出た戸籍上の名前は「今村明子」。96年についに姉と再会して判明した本当の名前は「池田澄江」。3つの名前が、その劇的な半生を物語る。現在は、さくら共同法律事務所内の「支援する会」事務局に勤務し、就籍説明会、就籍申立の諸手続き、面接での通訳など、孤児のために多忙な日々を送っている。
庵谷磐(いおりや いわお) 1917年、奉天(現在の瀋陽)に生まれ、東大卒業後、満鉄撫順炭坑に勤務。45年8月、ソ連軍侵攻で逃げてきた邦人を同炭坑が受け入れた。46年に引き揚げ。孤児問題では中国残留孤児問題全国協議会会長を務めるなど理論派として活躍。「支援する会」では“参謀”として、長年、河合や千野を支えてきた。現在、後世に残すために貴重な資料を整理中で、“孤児問題の図書館”とも呼ばれている。

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